一滴・一滴・油一筋70年
堀内三代の歴史
初代 堀内義信
堀内製油は、終戦後堀内義信が近隣の農家さんの菜種を搾る製油業として開業しました。祖父は戦時中、中島飛行機の設計をしている技術者でした。戦争が終わり食料難の時に、得意分野でもある機械を集め、圧搾製法を確立いたしました。現在ではなたね油をはじめ、ごま油、えごま油、つばき油を製造販売しております。
油屋を開業 [ 初代 堀内義信 ]
戦前中、中島飛行機の設計技師をしておりました。その当時日本は食糧難ということもあり、社宅の敷地が広かったため、そこで野菜や菜種を作り、菜種は委託加工に出し油にしていたようです。終戦後、仲間の技師の多くは現在のスバル自動車に移籍したようですが、初代は帰熊し、当時はまだ30代半ばで気力も体力もあり、また本人の性格上、自分の道は自分で切り開きたいという想いから、設計技師として培った技術を生かし、氷川町での企業を決意しました。
戦後の混乱の中、同じように食糧不足にあった熊本も、広大な田畑で菜種の栽培がされており、その種を油にする委託加工業に今後の道を見出しました。戦前、自らが栽培していた種を持ち帰り、農家に配っていたそうです。生涯現役を貫きました。
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中島飛行機時代
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中島 艦上偵察機 彩雲
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圧搾初号機
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創業当時の看板です。
原料栽培を開始 [ 二代 堀内克矢 ]
高度成長期を経て大きな成長を遂げた日本は、物があふれ、食料も然りで飽食時代となりましたが、少しずつ食に対する安心、安全が問われるようになりました。そんな中起こった、海外における輸入食品の様々な事件を発端に、お客様に安心して使ってもらうためにも、自分たちの納得のいく原料を使いたい、との思いから、栽培、製造、販売の一本化を目指し農業生産法人を立ち上げ、菜種、ごま、つばき、えごまを作付しました。菜種は景観も良く、近隣の皆様にもよろこんでいただいております。また、農家の高齢化で増え続ける耕作放棄地を利用して作付面積を拡大し、微力ながら地域経済にも貢献できればと思います。
直接お客様に届けたい [ 三代 堀内貴志 ]
熊本の大学を卒業後、堀内製油へはいることを決意しました。よその釜の飯をたべてこい、仕事は何でもいいから商売の勉強をしてこいと3年間関西への修行に出されました。米の小売業、青果店でお客様と接する楽しさ、厳しさを学ぶ。帰熊後、売り上げのほとんどが卸売だったため、直接お客様に届けたいという思いから全国各地の物産展に出店。北は北海道、南は沖縄まで全国各地をとびまわり、同時にネットショップ堀内油屋を開設。直接お客様に接することで、いろんなご要望を耳にするようになり、顧客様向けに「あぶらやたより」で情報発信をはじめました。ブランディングの大切さを痛感し、デザインをリニューアル。先代、二代がやってきた油づくりのスピリットを学びながら今までもやもやしていたものをデザインで解決していきます。